大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和55年(あ)248号 決定

本籍

和歌山県西牟婁郡串本町潮岬一三八一番地の一

住居

東京都渋谷区千駄ケ谷三丁目三番二三号

原宿ペアシテイ五〇一号

会社役員

鈴木源吾

明治四〇年一〇月一二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五四年一二月二一日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人富永赳夫の上告趣意第一は、憲法八四条違反をいう点を含め、その実質は株式配当金の実質的な帰属者が被告人であるとした原判断を論難する事実誤認、単なる法令違反の主張に帰し、同第二のうち、判例違反をいう点は、原判決が所得の計上時期としての権利確定の時期の認定につき権利行使の可能性の存否の検討を怠つたことを前提とするが、原判決が権利行使の可能性の存否につき検討していることは原判文上明らかであるから、所論は前提を欠き、その余は事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 栗本一夫 裁判官 塚本重頼 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 宮崎梧一)

○昭和五五年(あ)第二四八号

被告人 鈴木源吾

弁護人富永赳夫の上告趣意(昭和五五年三月一九日付)

第一、憲法八四条違反ならびに判決に影響を及ぼすべき法令違反

原判決は、被告人の昭和四九年度における配当収入中、二五万円について所得税法一二条の解釈適用を誤まり、また、恣意的な拡張解釈を行つている点で租税法律主義を定めた憲法八四条に違反しているものである。即ち、第一審判決添付の別紙(二)修正損益計算書中の配当収入の当期増減金額欄の金額のなかにはアラフラ真珠株式会社(以下アラフラ真珠という)からの株式配当金一〇〇万円が計上されているところ、そのうち二五万円は鈴木馨および田島房市名義の株式からの配当金であり、かつ、現実にも右両名がそれぞれこれを受領しているのであつて被告人の所得ではないにもかかわらず、右二五万円を被告人の配当収入として計上することを正当と判断したものであるが、これは所得税法一二条の解釈適用を誤まつた結果である。

所得税法一二条は言うまでもなく実質課税の原則を宣言したものである。実質課税の原則とは、表象としての法形式と経済的実質がくい違つた場合に、経済的実質に着目して収益の実質的帰属者に課税し、もつて租税負担の公平を期せんとするものである。

これを本件についてみるに、法形式たるアラフラ真珠株式の所有名義人は鈴木馨(六〇株)、田島房市(四〇株)の両名であり、経済的実質たる右一〇〇株分の配当の受領者も右両名であつて、この間にはいささかのくい違いもない。仮に、くい違いがあるとしても、それは右一〇〇株分の真の所有者が被告人であるという点であつて、名義上の所有者と真の所有者がくい違うというに過ぎず、所得税法一二条がこのような場合にただちに真の所有者に課税する旨を規定しているとみることはできない。右法条の趣意は、あくまでも経済的実質即ち収益(本件の場合は配当収入)の実質的な帰属に着目して課税することにある。原判決はこの点に関して右法条の解釈を誤まり、収益の実質的な帰属者を検討することなく、被告人がアラフラ真珠株式の真の所有者であるというだけの理由で、右配当収入が被告人の所得であると速断したのである。その結果、二五万円が実際に鈴木馨、田島房市に渡つていることについては、被告人から右両名に新たな処分がなされたとの全く無理なこじつけを重ねざるを得なくなつている。かくては、右新たな処分についてさらに課税の問題(贈与税)が発生することともなつて、その不当であることは言を費やすまでもない。

原判決は、表象としての法形式と経済的実質にくい違いがなく、実質課税の原則を適用すべき場合でないにもかかわらず、所得税法一二条の解釈適用を誤まつて、二五万円の配当収入を被告人の所得に計上したものである。

また、原判決が、単に被告人がアラフラ真珠株式の真の所有者であるというだけの理由で、右配当収入を被告人の所得としている点は、株式名義人と配当を受けるべき者との法的関係を無視しているとの批判が妥当するのであつて、これは課税要件について恣意的な拡張解釈を行つていると言うべく、租税法律主義を定めた憲法八四条に違反している。

第二、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認

一、原判決は、第一審判決添付の別紙(一)ないし(三)各修正損益計算書中の雑所得のうち販売超過利益配分金(以下利益配分金という)および技術員派遣提供報奨(以下技術提供収入という)について、被告人の所得としての計上年度の認定を誤まつたが、これは判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認である。

二、右二者について、原判決は、第一審判決の所得としての計上年度の認定をそのまま正当と評価した。第一審判決の認定は、原判決四丁表八行目から同五丁表七行目にかけて掲げられているとおりである。この認定を正当と評価し得る根拠として原判決の指摘した六点について、以下個別に検討したい。

(1) 実際売上金額、中間売上金額、ピーター取得額、共同評価額が第一審判決の採用する計上時期においていずれも具体的に明らかになつているとの点。

成程、右各金額が右時間において明らかになつており、その結果利益配分金の金額自体が特定していることは原判決の言うとおりである。しかし、金額が特定していない場合に権利としての確定性を欠くと言うことができるとしても、逆に金額の特定をもつて権利確定ありと言えないことは見易い道理である。

権利の確定の時期は、「法律上これを行使することができるようになつたとき」(最高裁第二小法廷昭和四〇年九月八日決定、判例時報四二五号四四頁)とされているのであり、この場合のメルクマールはあくまでも請求権としての行使可能性の存否のみである。単に金額として計算上特定しているからと言つて、それをその請求権の行使可能性の根拠となし得ないことはあまりにも明白である。

(2) 輸入された養殖真珠がいずれも輸入後数ケ月の間に、共同評価額より相当高値で販売されており、被告人が確定額どおりの金額を現実に取得する蓋然性が拠めて高かつたとの点。

蓋然性が高かつたとの点は、養殖真珠の品質のすぐれていたこと、供給数量の少なかつたこと、養殖真珠市場の状況がたまたま好況にあつたことなどの偶然の結果に過ぎず、この偶然の結果から「輸入後数ケ月」という短期間を一般的に設定することは、あまりにも商品取引市場の実態を無視するものと言えないか。商品取引市場における需要と供給の関係あるいは価格相場の変動性等が、右「輸入後数ケ月」などという期間を一朝にしてしまうことは我々が過去しばしば経験してきたところである。この点で、原判決は明らかな独断におちいつていると言うことができる。

(3) P・T・マルク・ハール・デイヴエロツプメント(以下MPDという)とアラフラ真珠との取引関係が委託販売類似のものであるとの点。

委託販売類似のものであるとの認定は、取引の実体を十分検討した結果に基づくものではない。通関手続、送金手続には委託販売であることを窺わせるものは何もないし、MPDとアラフラ真珠との販売超過利益の配分内容も委託販売ではなく正常の売買でなければ到底不可能な内容となつている。また、通関後日本国内において加工、研磨がなされている事実(原審における被告人の供述)を原判決はどのように評価するのであろうか。

さらに、原判決認定の委託販売類似のものとは何を意味するのか全く不明であるし、仮に、この「類似のもの」から、「販売代金も当初からMPDに帰属する」との結論を導いているとしたら、そこには明らかな論理の飛躍があると言わざるを得ない。

(4) 利益配分金の送金や処分などはもつぱら被告人および松沢において処理が可能であつたとの点。

この認定がいかなる意味を有するのか不明であるが、アラフラ真珠とMPDの一体性を強調し、利益配分金の配分主体の区別をあいまい化させようとするものであるなら、それは明らかに間違いであると言える。MPDはインドネシアにおける合弁企業であつて、インドネシア政府の監督を受ける法人であるとの実態の無視につながるからである。利益配分金と称される利益の分配方法の発生そのものが、我が国およびインドネシア国のそれぞれの国益の衝突のはざまから出ていることを看過してはならない。

(5) 昭和四八年インボイスNo.R5の精算金は被告人がアラフラ真珠から直接支払を受けているとの点。

右精算金支払の必要が生じたのは、昭和四八年八月二〇日をもつて利益配分金の算出方法が変更されたことに起因するのであり、過渡的かつ一回だけのことである。右R5についての利益配分金の原資は、共同評価額の二〇%相当額であり、これは既にピーターと被告人との間で配分されてしまつている。とすれば、右精算金の原資が利益配分金でないことは明らかであり、被告人が精算金という名目の下に別種の金員を取得したものとみるのが相当である。この場合の精算金の原資はアラフラ真珠自体の利益としか考えられず、従つて、この支払をアラフラ真珠から直接受けているのは誠に当然と言うべく、これを異とするには足りないし、また、これをもつて利益配分金の性格をうんぬんするのも間違いである。

(6) わが国の被告人の口座へ送金するという処理をする前に、被告人の利益配分金として現地において使用することも可能であり、また現実にも使用していたとの点。

現地において使用したとの事実は、行使可能性の存否の判断には密接な関連を有するが、当弁護人の「被告人の利益配分金債権が確定するのは、アラフラ真珠とMPDとの間において販売超過利益の分配が終り、利益配分金の原資がMPDに現実に到達した時である」との主張と、何ら矛盾するものではない。また、右事実が共同評価額決定などの時点で被告人の利益配分金債権が確定するとの原判決の認定を支えるものでないことも明らかである。

三、期間損益の決定のためにわが税法が採用した権利確定主義の原則は、納税者の恣意を排して課税の公平を期すべく、主として徴税政策上の技術的見地に眼目があると言うことができる。

一方、租税負担の公平の原則の観点からは、徴税の便宜のみの優先には十分なチエツクの必要なことが要請されている。最高裁判例が、権利確定の時期について、「法律上これを行使することができるようになつたとき」(前掲)との基準を打ち立てていることは、その合理性について疑いをさしはさむ余地はない。当弁護人は、右最高裁判例に従つて、被告人が利益配分金債権および技術提供収入債権を行使できるようになるのは、「アラフラ真珠とMPDとの間において販売超過利益の分配が終り、利益配分金および技術提供収入の原資がMPDに現実に到達した時である」と主張するものである。これに対し、第一審判決および原判決が、債権としての行使可能性の存否を検討した形跡はないし、両判決が考慮したのは徴税の便宜のみであると言わざるを得ない。原判決の権利確定の時期に関する認定は前掲の最高裁判例と相反するものであり、原判決には重大な事実の誤認があつてこれを破棄しなければ著しく正義に反するものであると思料する。

以上

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